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みんなの優しさが包んでくれてるから 私は笑顔でいられてる
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2024/11/01 (Fri)
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2008/01/14 (Mon)
退院して3回ミルクのお世話になったけど、ほとんど完母。
搾乳もしていない。
おしっこも1日6回以上するし、
2~4時間、長いときで6時間ずっと寝続けているときもあるから
母乳で足りていると思われる。
あとは1ヶ月健診でなんと言われるか、体重は増えているのか、だわ。
それによっては今後の母乳育児を考える必要があるもんね。

完母にこだわっているわけではなくて、
何かのときにはミルクも上手に使いながら育てていく予定。

退院してからミルクに助けてもらった。
菜々が夜中4,5時間ぐずぐずしていて、
ずっと授乳していた日があった。
一生懸命吸っている菜々。
離そうとしない菜々。
「出ているのかな?」と、不安になり、確かめると
右のおっぱいから出ている気配がない。
疲れと寝不足とでミルクタンクが空になってしまったらしい。
そんな状況が昼も合わせて3回あって、
そのときにミルクのお世話になった。

『母乳のみ!』とこだわりすぎず、
『いざというときはミルクがある!』 と、思うと気が楽になる。
それ以来、夜寝るときには
哺乳瓶とミルクとポットを部屋に用意しておくようになった。


おっぱいから吸うようになるまでの菜々の頑張り。

退院してすぐは、入院中にしていたように
片方5分ずつ吸わせて、あとは搾乳した母乳を哺乳瓶であげていた。
でも、これじゃいつまでたっても抜け出せない!と思い、
12月31日からスパルタかもしれないけど
時間がかかってもいいから、直接吸わせるのみに変更。
やっぱり最初は上手に吸わせることができずに、
時間がかかった授乳。
吸ってくれても、すぐに口を話してしまったり、寝たふりをしたり。
その姿を見て、母や妹と
「居残り授業だね」
「あっ、授業ボイコットしてる(笑)」
と、話していた。

そんな日を繰り返し、
菜々と一緒に毎日授乳の度に頑張った結果、
だいぶ上手になった。
嫌がったり、くわえ方がずれていたりすることもあるけど、
練習の成果だわ。
お腹が減っている中、頑張ってくれた菜々。
すごくえらかったね。
まだ生まれてきたばかりなのに。
ママは本当に嬉しい。
今は「おっきくあーんして」っていうと、偶然かもしれないけど
大きくお口あけてくれることもある。
たまにまだボイコットをして、
『にや~』って不敵な笑いをされることもあり、笑わせてくれる。
筋肉の緊張による笑いってわかってはいるけど、
タイミングが良すぎなんだよね。
寝不足だけど、乳首は痛いけど、
こういう瞬間があったりするから頑張れる。

そんな菜々のお得意は 『ちょこ飲み』。
おなかいっぱいになるほど飲んで、
「もういらなーい!」って寝てしまう。
そのすぐあとに、またぐずり始め…。
『ちょこ飲みする?』と聞いて、飲ませてみると、ぐびぐび。
ちょこっと飲んで満足するときもあるけど、大抵は本飲みに。
吸うのは結構体力使うから、
飲んでいる途中で疲れてしまうからなんだろうけど。

あと2,3日前はお腹が減っていて
吸いついてきたのはいいけど、
吸う場所がちょっとずれていて、乳首のすぐ横をちゅうちゅう。
その姿が可愛くって笑ってしまった。

吸わせ方がうまくいかないときもある。
そんなときは痛くて、顔がゆがむ。
左は退院してすぐ、皮がむけ、切れてしまった。
右は切れてはいないけど、痛い。
今、次の授乳時間まで馬油で治療中。

そして、搾乳の影響か立て抱きでの授乳の影響か
両手首、腱鞘炎なりかけ。
というか、なってしまったのかも。
サポーターをしながら育児中。
授乳クッションも買ったけど、今まで使っていなかったから
使わないほうが上手に授乳ができるんだよね。
せっかく買ったのに。

これからまだ課題はたくさん。
菜々、がんばっていこうね。

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2008/01/13 (Sun)
12月29日
産後9日目

朝、再び菜々を母親に預け、旦那とともに病院に向った。
この時点でもう出血は悪露だけで、それ以外の出血はとまっていた。

ガーゼをとってもらい、内診。
やはり出血は止まっていた。
出血量が少なくなっていたため、
出血の原因、場所は不明とのことだった。
でも、出血が止まったので今日から育児許可がおりた。
ただし、なるべく横になるようにの指示付きで。

菜々のおむつ替え、授乳ができることが嬉しかった。


自分の娘だけれど、
何も分からない状態で夜の育児をいきなり任された旦那。
すごく大変だったよね。
急にこんなことになってしまって、本当にごめん。
診察後、旦那は言った。

「よかった。すごい心配だったんだ。
 安心したら眠くなってきたよ」

旦那はいつもこう。
こういう人。
心配していることは伝わってくるけど、
私がトラブってもあわてずに対応してくれる。
だから私は旦那の行動、言動で落ち着ける。
安心して身を任せられる。
今回もそうだった。



2008/01/13 (Sun)
12月28日
産後8日目

お七夜の日の夜7時頃。
まだお食事会は続いていて、
お母さんたちが楽しんでいるリビングで
椅子に座り、搾乳した母乳を菜々にあげていた。
飲ませはじめて、ちょっとしたら何かが漏れる感覚。
…?
これは…
助産師さんが言ってた尿漏れ?
なんだ…?と不安に思いつつ、
菜々が哺乳瓶で、んくっんくっっと一生懸命飲んでいたから
そのまま飲ませていた。
と、どばっと出た。
異常なことに気づき、旦那に菜々を預ける。
トイレに行こうと歩いたら、点々と床に漏れていたのは
尿ではなく、血液だった。
パニック状態に陥った瞬間だった。

出血量は大量で、私の足元は血の海といった状態だった。
病院に電話をして、看護婦さんと話をした。

「レバーのようなものが出た?
 たまっていたものかもしれないわね。
 トイレに行って子宮底のところを押してみて。
 それで様子をみて、まだ生理2日目以上の出血が続くようなら
 また連絡してね」

レバーのようなもの。
ナプキンの上に確かについている。
トイレに行って、子宮底を押す。
これ以上出てくる様子はない。

でも、すべて着替えて私は2階で横になることになった。
お義母さんを招いた側なのに、横になるなんて…と思ったが、
今日ばかりはそんなことを言っていられない。

旦那がお義母さんが送って行った。
しばらく横になっていたが、変わったことはない。
もう大丈夫だと思った。
1階に降り、母親に「シャワーを浴びたい」といった。
母親に「今日はやめておきなさい」と言われ、
しぶしぶ2階にあがりまた横になった。
また大量に出る感覚がして、トイレに行った。
やはり大量に出血をして、パジャマのズボンなども取り換えた。
この時点では 「まだ中に残っていたのか」と思っていた。
母親が「(旦那に)お風呂入っていってもらったら?」と言っていたので、
旦那に電話をした。
旦那が来て、少し話しているとまた出る感覚。
トイレに行く。
またレバー状のものと一緒に大量の出血。
太ももまで真っ赤になっていた。

3度目の大量出血。
再び病院に電話をすることにした。
大量出血以外にもずっとだらだらと鮮血が流れていることを伝えた。
病院に来るよう指示された。

出血量がすごく、ひどい貧血。
立ち上がるのがつらく、母親を呼んで
支えてもらいながら階段を下りた。
妹には 「 顔色、やばいよ」と言われた。

菜々を母親に預け、
パジャマ姿のままで、旦那の運転する車で病院に向かう。

病院に着くと、すぐに内診台にあがった。

「もう全部でたみたいだな」
と、子宮底を押しながら見てくれた。
そのあとそのままの体勢で様子を見た。
出血が続いているらしい。

「子宮からではないみたいだ。
 膣からかな?」

とりあえず大判のガーゼを3枚詰めてもらい、
出産直後に使用したお産パットをあててもらった。
入院中に処方されていた子宮収縮剤をまた飲むよう指示された。

「たぶんこれで出血は大丈夫だと思う。
 だけどもしまた出血したら夜中でもいいから連絡をするように。
 そして、明日診察においで。ガーゼを取らなきゃいけないから。
 あと、今日は横になっていなさい」

菜々の世話を聞いたら、ダメだ!と即答された。

昨日退院したばかり。
自分の子どもの面倒を見れないなんて、なんてことだ。
先生の言葉を聞いて、涙があふれた。
菜々に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

今日の夜は旦那に菜々を見てもらうことになった。
昨日退院したばかりで、
旦那はおむつ替えもミルクもあげたことがない。
家に帰ってきたのが11時すぎ。
旦那に教え、預けて、私は母親の部屋で横になった。

夜中、菜々の泣き声が聞こえる度に、目が覚め
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
旦那は大丈夫かと心配になった。
朝方、全然菜々が泣かなくなったから、
おとなしく寝たのだと思っていた。
朝になって旦那に聞くと、ずっと抱っこをしていたらしい。

私はというと、夜中胸が張ってどうしようもなくて
何度か母親に手伝ってもらい、
痛みに耐えながら、手で搾乳した。


お腹に菜々が宿って以来、ずっと一緒だった。
出産してすぐは夜は別々だったけど、
それからは昼も夜も一緒だった。
菜々の泣き声が聞こえても何もできないことが悲しかった。
心の中で謝るしかできなかった。
辛い夜だった。


2008/01/09 (Wed)

12月28日大安
生後8日

本当は生後7日にするお七夜。
でも旦那の仕事の関係で、
今日実家にお義母さんを招いてお七夜をしました。

午後1時過ぎ。
実家のリビングにみんなが集まった。
旦那、お義母さん、母親、私、そしてたまたまいた妹カップル。
菜々はお腹いっぱいになったので、クーハンの中で熟睡。
父親は田舎に帰省中のため、不在。

まずは命名式。
妹カップルが磨っておいてくれた墨で練習。
旦那がはじめに書いて、続いてみんなで書いたけど、
結局は命名紙には旦那が書きました。

そのあとは宴会。
お義母さんがお赤飯を炊いてくれて、
母親は煮物やお魚などを用意してくれた。

こうしてお七夜をできて、良かった。

昼すぎからスタートしたお七夜は夜まで続きました。
夜にトラブルが起こってしまったのだけど…。



2008/01/09 (Wed)
12月27日
生後7日

菜々と一緒に退院です。

抜糸をした日に、私は27日に退院できるけど
赤ちゃんは体重がまだ出生体重まで戻っていないからわからない、
と先生から言われていたから、
一緒に退院できたことがすごく嬉しかった。

産まれてきた赤ちゃんは体重が一旦出生体重よりも減るとのこと。
そして、少しずつ増えていくんだけど、
菜々は退院の日の時点でまだ出生体重まで戻らなかったんだよね。
でも、昨日沐浴中に先生が来て、
「まだ体重は戻ってはいないけど、順調に増えてはいるから
 一緒に退院できるよ」と言ってくれた。
あの言葉。
嬉しかったなぁ。


旦那が仕事を休めるのは午前中だけとのことだった。
それだと時間的に厳しいから、お母さんに迎えに来てもらった。
本当は旦那と一緒に…っていうのが希望だったけど
仕事じゃ仕方ないもんね…。

退院用に用意したエプロンドレスを助産師さんが着させてくれて、
病室から車まで抱っこしてくれた。
こういうのって個人病院ならではなのかな?
助産師さんのその気持ちが嬉しかった。

帰りは旦那の実家に寄って、
おじいちゃんとおばあちゃんにひ孫の顔を見せに。
すっごく喜んでくれました。
1ヶ月健診まではお出かけできないから、
退院の日にどうしてもおじいちゃんおばあちゃんに
会わせてあげたかったんだよね。
おじいちゃんおばあちゃんの笑顔を見て
やっぱり寄ってよかった!ってすごく思った。


プロフィール
HN:
よーこ
年齢:
43
HP:
性別:
女性
誕生日:
1980/11/30
職業:
専業主婦
自己紹介:
乾癬に悩みながらの日常生活、結婚、妊娠。涙を流したときもたくさんあった。そんな悩みも含め、記録しています。
妊娠発覚までの乾癬についての日記はホームページで「病気のこと」のカテゴリーで綴っています。



2005年02月   乾癬発症
2006年11月11日 結婚 
2007年12月21日
    女の子出産



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